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コラム COLUMN

退院できることになった時、
「やっと家に帰れる!」

そんな嬉しい気持ちとは裏腹に、現実は想像以上に厳しいものでした。

私の家は3階。

退院したばかりの私は歩くことも難しく、家の中は車椅子生活。

階段なんてもちろん登れません。

退院の日を目指しておんぶされながら階段を登る練習を何度もしました。

家族におんぶされて、ようやく自分の部屋へ。

あの日の光景は、今でも忘れられません。

要介護5からのスタート

退院した時の私は要介護5。

家の中には、お風呂の手すり、階段の両側にも手すり…。

生活できるように、家は大きくリフォームされました。

このリフォーム費用は介護保険のおかげで負担を抑えることができました。

そして、私は介護型の保険にも入っていました。

その保険金にも、本当に助けられました。

健康な時は、
「毎月保険料を払うなんてもったいないな。」
「使わないなら無駄じゃない?」

そう思っていました。

でも、人生は何が起こるかわかりません。

もしもの時に、自分や家族を支えてくれるのが保険なんだと身をもって知りました。

もちろん、使わない人生が一番幸せです。

それでも、備えておくことの大切さを、私は心から感じています。

50歳。リハビリ施設で最年少【おばさん若手になるw】

50歳だった私は、なんと一番若い利用者。

周りは80代、90代の人生の先輩ばかりです。

最初は正直、辛かった。

話も合わない。

「なんで私がここにいるんだろう…。」

そんな気持ちでいっぱいでした。

そして会う人、会う人、みんな同じ質問をします。

「右手、どうしたの?」

そのたびに作り笑顔で、

「脳梗塞の後遺症で動かなくなっちゃったんです。」

そう答えていました。

ある日、99歳のおじいちゃんにも聞かれました。

「右手どうしたの?」

私はいつものように答えました。

すると、そのおじいちゃんは笑顔でこう言ったのです。

「そうかぁ。じゃあ、もう右手で悪いことはできなくなったね。よかった、よかった。」

思わず笑ってしまいました。

そして同時に、目から鱗でした。

私は右手が動かなくなったことを、100%悪いことだと思っていました。

でも、こんなふうに受け止める人もいるんだ。

その日から、お年寄りを見る目が変わりました。

長い人生を歩いてきた人の言葉には、教科書には載っていない知恵がある。

年を重ねるって、本当にすごいことなんだと思いました

私の使命を見つけた日

リハビリを続けても、元の体には戻りませんでした。

脳梗塞特有の歩き方...

鉛のように重く固まった手足...

そして、私の心からは「自信」という言葉が消えていました。

あんなに輝いていた私は何処へ行ったのだろう.......

外へ出れば、

「かわいそう…。」

そう思われている気がして、人と会うことさえ嫌になりました。

そんなある日。

私と同じように障害がありながらも、笑顔で前向きに生きている人に出会いました。

その姿を見た瞬間、心が大きく動いたのです。

「私、何やってんだろう?私の人生、まだ終わってない!あと、半分あるかもしれないじゃない!!」

「この先、人生が半分あるかもしれないのに、下を向いている場合じゃない。」

「私が立ち上がれば、それを見て私がそうだったように、勇気をもらう人が一人でもいるかもしれない。」

脳梗塞になった私は知っています。

明日が当たり前に来るとは限らないことを。

だからこそ、今日を大切に生きること。

そして、自分らしく人生を準備すること。

その思いが、今の私を終活アドバイザーという道へ導いてくれました。

脳梗塞になったことは、決して望んだ出来事ではありません。

でも、この経験があったからこそ今伝えられることがあります。

私にしかできない、経験したからこそ言えること。

これからも私は、自分の人生を通して、一人でも多くの人に「今を大切に生きること」の意味を伝えていきたいと思っています。

最終回予告

脳梗塞になったことは、私の人生で一番つらい出来事でした。

でも、その経験があったからこそ、気づけたことがあります。

「明日」は、誰にでも当たり前に来るわけではないこと。

だからこそ、元気な今のうちに、大切な人への想いを伝えておくこと。
もしもの時に困らないように準備しておくこと。

それは「人生の終わりの準備」ではなく、「これからを安心して生きるための準備」だと私は思っています。

最終回では、この経験が今の私の活動につながった理由と、「気持ちをこの世に残すこと」の大切さについてお話しします。
ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。